遠い意識、声が聞こえた。と、閃くように瞬く静止画の一片一片。鮮烈な赤が網膜に残
る。
「月夜……」
 浮上した意識の中、和弥はポツリと呟いた。一人の病室。意識を失う寸前に感じた激痛
はもう無く、不思議な体の軽さを感じて体を起こした。
 隣にはすやすやと眠る深華がいた。その顔色は色を失っている。やけに目の前が暗いと
思ったら、夜だった。不思議な胸騒ぎが胸を焦がす。
 ベッド脇にあるスリッパに足を突っ込んで目眩をねじ伏せて扉を開くと明るすぎる病院
の廊下が広がっている。目の前には、白い男が立っている。
「お前は……」
 男はにっこりと笑って折りたたみナイフを伸ばして和弥を斬りつけようとした。今度は
本当に死をもたらすために首筋を狙って。
 和弥は刃を見て引き攣れた呼吸を繰り返し後退った。腰が砕けベッド脇に立てかけてあ
った落下防止用の柵が高い音を立てて倒れる。男は一歩踏み出したが何かに拒まれたよう
に病室に足を踏み入れる事は無かった。
〈九字の法だ〉
 誰かの声で言われた。それは一度、月夜に護身用に教えてもらった呪法だった。息を整
えて震える手を組み合わせた。
「臨める兵闘う者皆陣烈りて前に在り」
 ぴんと音を立てて何かが形成された雰囲気があった。男は眉を寄せて舌打ちをしてすっ
と消えた。
「和弥?」
 腰が抜けて動けなかった。長座したままで息を整えていた和弥の耳に声が聞こえた。顔
を向けてみると深華がこちらを見ていた。
「ああ、起こしたか」
 勤めて何事もなかったように声に力を入れて言うと立ち上がって電気をつけてベッドに
腰掛けると和弥は深く溜め息をついた。
「なにが?」
「白い髪の男がそこに来て」
「え、嘘」
「間一髪。今度月夜に何かおごんないといけないな」
 部屋の四隅を見ると塩が盛られていた。ようやく正常になった思考が答えを出した。
「結界か」
 溜め息をついてそう呟くともう一度溜め息をついて目を瞑った。くらくらと目眩。ふっ
と体の力が抜けて深華のほうに倒れかけた。
 深華もそれを受け止めて薄い病院服に包まれた体に腕を回した。やせているように見え
るけれどもしなやかで温かく大きなたくましい背中。ぎゅっと抱きしめて深華は安堵の息
をついた。和弥もしばらく動こうともせずに小さい肩に顎を乗せて息を整えていた。
「大丈夫?」
「ああ」
 目を閉じると先ほど見た血の赤が再再生される。何かが胸を焦がす。
「なんか」
「なに? 具合でも?」
「違う。なんか、嫌な予感がするんだ」
「予感?」
 首をひねっている深華から体を離して顔をみた。蒼褪めている深華の顔が痛々しい。
「……」
 ぎゅっと唇を引き結んで色を失った頬に手を伸ばして拳を握った。



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